山崎方代に捧げる歌 21

 

幸は寝て待つものと六十を過ぎし今でも信じています

 

一昨日かな

蓼科高原の
宿に

浜風の詩人たちと泊まった

自身の詩と
好きな詩とを読んでもらった

それから
詩をひとつ作ってもらった

ぼくらにほんとに詩が
必要なの

問うてみた

高原の山道を散歩した
尖石で縄文土器をみた

 

 

 

 

道 ケージ

 
 

オヤジの名は
カツヒコ
自分の柔らかい名より
その名が好きで
子供の頃よく漢字を書いた

なんでタカヒコにせんやったと
「そりゃ考えんやったな」

戦勝祈念のカツヒコは
満州建国大学にて学徒動員
歓喜嶺の砂塵で野菜を作る
高粱(こうりゃん)を大車(ダーチョ)に

継いだものは
乾布摩擦
そして、頽頭(デカダン)

夏休み、オヤジと
釣川で釣り
いつものように釣れず
オヤジはどこまでも下流へ
緑にまぎれ
行方知れず

かきわける芒(かや)
草いきれに動悸
かさね、切り傷が走る

飼いならすのだと言い聞かす
慣れっこじゃないか
ほら、思い出すのだ

釣り針のミミズが
切れ落ちて
何かを示そうとしている
じたばたと
砂が字を書く

ズックで
☓(ばつ)
もう一つ
また

 
 

註一 (  )内の表記は本来はフリガナです。このヴァージョンではルビを振ることができないため、このような表記にしています。

註二 「釣川」は福岡県宗像市の実在の川の名。玄界灘に注ぐ。萱からできた長太郎河童の伝説を持つ。

 

 

 

<反論> カラスの、

 

萩原健次郎

 
 

 

あっ、右を向いた。
勝手でしょ。
南無阿弥陀。南無阿弥陀ああ。あっ、餌。
わたしの食糧。生きようと思えば生きられるけれど、もう往って還ってくるのに疲れたから、虫、食糧、いらねえ。

わたし、あきらめた。虫、喰ってもねえ。
見てる?写真撮ろうってか。はいはい。あなたの眼中にわたしがいて、わたしの眼中にあなたがいて、四角く削ごうなんて、卑怯だねえ。あんた。

わたしもねえ、世界、採集してんだよ。

虫、おおむね虫、食糧図鑑をつくろうかと考えていたこともあるね。
若い時分にね。虫、まんまると削いで、脳のアルバムにぺたぺた貼り付ける。
わたしにも脳はあらあな。南無阿弥陀ああと言うぐらいなんだから。
あんたの脳にはさあ、どんなもの貼ってるんかなあ。
食糧?虫じゃないわなあ。人かなあ、恋人?米?
そうかあ、草みたいなもんだ。肉?鳥も食べるんだ。

カラスは食べないのか。そうか。ヒツジもイノシシも食べるのか。
変なものは、食べるんだ。タニシもクリも、カキもか。
それは、わたしも好物だなあ。

飽きないのかねえ、わたしをそこからじっと見ていて。

わたしもう気はないよ。気は捨てたよ。
足あるよ。ぴょんぴょんぴょこぴょこ。もう往かねえ、どこにも。
恋もしない。虫、いらねえ。唄、好きだよ。

かあかあ、かあかあ、かっかっかっ。

時雨心地って知ってるか。
わたしだって、いつも喜んで唄っているわけじゃない。
おんなじ、かあかあでも、
「とってもさみしねくてねえ」、「女々しくて女々しくて」、
地に沁みこみたいときだってあるさ。

それも、ちょっとした抵抗で、「沁みたい沁みたい」って泣いている。

消えるやろ。
沁みたら、消滅。
あなたの眼中から、わたしは、ただの気配の陣地になって、かすかな記憶からも消えていく。スイッチ押してそれで、すぅーっと無くなる。

勝手でしょ。
あなたは、
わたしは、
この世は、
徒行。

 

 

 

女声コーラスの「赤とんぼ」

音楽の慰め 第21回

 

佐々木 眞

 
 

 

秋晴れの午後、久しぶりに生の音楽に耳を傾けました。
逗子文化プラザなぎさホールで、女声合唱団「ぶどうの会」コンサートを聴いたのです。

じつは私はコーラスというのは苦手でして、高校生や中学生がコンクールで演奏するのをたまにラジオで聴くくらいですが、この日登壇したのは19人のいわゆる後期高齢者のおばんさんばかり。

創立20周年とはいえ「ぶどうの会」はアマチュアのメンバーなのでいったいどうなるのかと心配していたのですが、案ずるより産むがやすし、さながら少女のように純な歌声が流れてきたので、驚くやら安心するやらでした。

プログラムの前半は、はたちよしこ作詞・吉岡弘之作曲「レモンの車輪」、木下牧子作曲の5曲の合唱曲集、中盤は上田眞樹編曲も「日本抒情歌」、後半はみなづきみのり作詞北川昇作曲の組曲「やさしさとさびしさの天使」でしたが、指揮者の杉山範雄、ピアノの石原朋子さんの好サポートもあって、お腹いっぱいのご馳走を頂戴したような気分になりました。

近代から現代曲までさまざまな曲が演奏されましたが、やはり昔から耳に馴染んだ「朧月夜」、「荒城の月」、「夏は来ぬ」、「赤とんぼ」などの日本の歌が心に響きました。
ただしこれらの名曲をあまり調子の乗ってモダンに編曲すると、せっかくの古朴な樂想を傷つけてしまうことがあるので、若い編曲家は気をつけてもらいたいものです。

それにしても、休憩をはさんでおよそ2時間を見事に歌い通した出演者には、拍手喝采を贈りたい。しかも全収益金が沖縄久米島に設立された福島の子供たちの保養施設の活動に寄付されるとあらば、なおさらのことです。

 
 

福島より沖縄に来た子らのため十九の老女声張り歌う 蝶人

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第17回

第6章 悪魔たちの狂宴~由良川のギャングたち

 

佐々木 眞

 
 

 

大広間の天井にへばりつくようにして、この異様な光景のいちぶしじゅうをのぞきこんでいたケンちゃんは、びっくりしました。
突然自分の名前が持ち出され、しまいにはケンちゃんコールまで由良川一帯にとどろきわたってしまったんですもの……

しかし、これでどんなに由良川の魚たちが困っているのか、なぜケンちゃんの到着を待ちわびているのかがよくのみこめてきました。

のみこめたのはいいのですが、ケンちゃんはだんだん途方に暮れてきました。
自分はどうやったらこのピンチを救うことができるんだろう?
あんなに魚たちから期待されているのに、由良川のギャングどもを向こうに回して、12歳の少年がたったひとりで何ができるというのでしょう?
ケンちゃんは考えれば考えるほどますます不安に駆られてきました。

数千、数万の魚たちが酔っ払ったように由良川音頭を合唱している大広間をそっと離れて、ケンちゃんはまるで誰かから呼び止められるのを恐れながら逃げ出すようにして、由良川の本流めざしておおきく複式呼吸をしながら、ゆっくりゆっくり泳いでゆきました。

少し頭を冷やしながら、じっくり考えてみようと思いましたが、哀しいことにいくら腹式呼吸を繰り返しても、いくらひとかきひとかきゆっくり泳いでも、頭の中には何のアイデアのひとかけらさえも浮かんでこないのです。
その時でした。

――おや、あれは何だろう?

ケンちゃんの前方およそ5メートルほどのところから、なにやら白く光る2本の棒がこちらに向かってきます。白く、先端が湾曲した、なにか骨のようなもの……。
左右とも2.0の自慢の視力で透かしてじっと見つめると、それはなんと牛の角でした。

角だけではありません。肉がそげ、きれいに白骨化した大きな牛の頭骸骨が、見えない虚ろな眼で、じっとケンちゃんを睨んでいるようでした。

次の瞬間、その眼はギロリと動きました。
ギロリ、ギロリ、ギロリ……それは、牛の眼ではありません。
牛よりももっと小さく、しかし、もっと不気味で狡猾そうな2つの眼が、ホルスタインの眼窩の奥から、じっとケンちゃんを睨みつけているのです。

ギロリ、ギロリ、ギロリ……、黒く悪賢そうな小さな眼は、2つ、4つ、6つ、8つ、……もっともっと光っています。
暗い水の中で、何十、何百の暗い眼たちが黒い縞模様を右に左に反転させながら、次々に白いしゃれこうべの下へと消えてゆくのです。

このホルスタイン種の乳牛は、おそらく先日の台風の時、上流の上林村あたりから、生きたままモウモウと鳴きながら、ここまで流されてきたのでしょう。

ケンちゃんは、さらに牛の死骸のほうへと近づいてゆきました。そしてそのすさまじい光景を見た途端、アッと叫び、叫んだ口の中から侵入した泥混じりの水を思いっきり飲んでしまいました。
真っ暗な由良川の河底に横たわるホルスタインの死骸を、何十、何百匹ものカムルチーたちが、するどいギザギザの尖った歯をきらきら光らせながら、夢中になって食らいついているではありませんか。

全長40センチから、大きい奴は1メートル以上もある青ずんだ黒い色をした川の盗賊カムルチーは、背びれと臀ビレをゆらゆらグルメの快楽にうち震わせながら、狂ったようにホルスタインの雌牛のやわらかな臓物に突撃しては、獲物をナイフのように鋭い歯で斬りとり、そのたびに微小な肉片と鮮血が濁った水を赤々と染めてゆきます。

―――カムルチーだ! ライギョだ! こいつら、由良川のギャングたちだ!

 

 

次号へつづく