幻の名機「KEF104ab」を探して

音楽の慰め 第13回

 

佐々木 眞

 
 

 

しばし呆然とその場に佇んでいた私が気を取り直して「ね、清水君、で、このスピーカーいくらするの?」と尋ねると、「中古とはいってもまだ比較的新しいですから、ま新品の半額の五万円ですね」という返事が返ってきました。

今だってそうですが、70年代のはじめの五万円は相当な物入りです。
私は3日間悩みに悩んだすえに、この欲しくて欲しくてたまらなかったスピーカーを涙を呑んで諦めたのでした。

あの運命の夜から幾星霜、2017年の1月に入ったある寒い夜、何気なくヤフオクをチエックした私は、なんとあの曰くつきの名器KEF104abが競売に付されているのを見つけたのです。

横浜のリサイクルショップが出品していたそのスピーカーは、もちろん年代物の中古品です。70年代にクラシックファンから好評を博したKEF104abは、しばらくすると製造中止になり、今ではこういう形でしか入手できなくなったのです。

今や棺桶に片足をっ込んでいる後期老齢者の私に、突然あのスピーカーから迸り出る朗々たるチャイコスキーの弦の奔流、そして管弦楽に抗して連打されるティンパニーの猛虎のごとき咆哮が生々しく甦りました。
「よおし、この千載一遇の機会を逃してなるのものか」
私は万難を配して、この幻の逸品をものにするぞ、と決意しました。

しかし気になるのは財布の中身です。
リーマンを止め、フリーライターを止め、大学の教師を辞め、年金生活に入った私が自由にできる金額は、ほんのわずかなものです。
1000円から始まった競合入札が、どこまで高みにせり上がるのか。
私は毎晩ネットでその金額が上がるのを、はらはらどきどきしながら見詰めていました。

ラッキーなことにこの物件は、横浜保土ヶ谷区にあるその会社での「現物手渡し」が条件になっていました。
通例では全国から殺到する競合者と張り合わなければなりませんが、これだと恐らく横浜市内か神奈川県下に在住している人に限られてくるでしょう。

私は車を運転できないので、その会社まで電車で行き、横浜市のタクシー会社に予約して決められた日時に現地で待ち合わせ、トランクの中に2台のスピーカーを入れて自宅のある鎌倉に向かえば、八千円ほどの費用で賄えることが分かりました。
交通費込みで3万円ならなんとかいけるな、と私は踏みました。

そして、いよいよその決戦の夜がやってきました。
ライバルは6人くらいに絞られ、締め切り寸前の値段は、1万7000円と思いのほか低い。これなら楽勝と思い、私はあと締め切りまであと1分の段階で2万2000円を張り込み、「見事落札おめでとう!」の知らせを心待ちにしていたのです。

ところが、ところがです。なんと、なんと落札終了時間が過ぎた後で2万2500円をつけ、最後に笑った奴がいたのです。
2人のライバルがデッドヒートを繰り広げているのを知った出品者が、終了時間を延長して落札価格の引き上げを図ったに違いありません。

ああ、なんということだ!
ヤフオクで煮え湯を飲まされたことは、これまでも何度かありましたが、今月今夜の敗北はじつに手痛い。
かくて幻の銘器KEF104abで、ムラビンスキー&とレニングラードフィルハーモニー管弦楽団の交響曲第5番を半世紀ぶりに耳にして涙にむせぶ奇跡は、うたかたの夢まぼろしと消え去ったのでした。

 

 

 

幻の名機「KEF104ab」を探して」への2件のフィードバック

  1. おはようございます。

    このスピーカー 104abと
    スペンドールBC2 共に同じ時期に
    短い期間でしたが
    使っておりました。

    素晴らしいスピーカーだと思います。

    また、買い戻すか 迷ってます。

    • おお、同志よ! あ、違った、同好の士よ!
      いずれも名機ですね。やはりスピーカーは英国製に限りますね。

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