「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第67回

西暦2018年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

原宿本社の5階のエレベーターの前に、伊オリベッティ社のタイプライター、レッテラブラックが捨ててあった。持って帰ろうかなとも思ったが、それがアメリカのボビーブルックス社と提携しているルック社の長老の愛機であることを知っていたので、私にはできなかった。6/1

夕方の退社時間に、大手町のビルヂングを訪れると、無数のリーマン諸君が、どういう訳かエレベーターにもエスカレーターにも乗らずに、9階から地上階に通じている階段に殺到しているので、私もその真似をしてみた。6/2

次々にやって来るリーマンたちは、一丸となって、雪崩を打って猛烈な勢いで下へ下へと落下していくのだが、その疾走感と墜落感が混淆して、堪らない恍惚と酩酊を生み出すのである。私らはそれをもう一度体感したくて、もう一度エスカレータで9階に戻り、階段墜落に参加するのだった。6/2

ともかく各ブースの一番乗りを目指していたのだが、すべてのブースの先頭に、同時に存在することはできないので、結局僕たちは、会場のあちこちを懸命に駆けずり回っているにすぎないのだった。6/3

「今日は最大の勝負どころになるので、夜はたぶん野宿することになるぞ」と脅かしたら、若いネエちゃんが、さめざめと泣きだした。6/4

おらっちが病気で休んでいる間に、会社は4名を採用し、うち1人はおらっちが担当していた、サッカーで例えると、ボランチ的な職種を担当しているそうだ。6/5

彼女の誘いに乗って、渋谷からバスに乗って、どこかの駅まで行って、どこかの店に入って、白い布のついた洒落た木造の椅子を見つけた彼女が、「買おうかしら、それとも止めようかしら」と私に相談してくるが、私は別にどうでもよくて、ベランダのところで蕩けるような接吻を交わす。6/5

部下のタカハシが、私に無断でダーバン社に提案したディスプレイ案は、古今東西の女優のブロマイドを服の周りに張り付けるという阿呆らしいものだったので、案の条、常務のワタナベがワンワン噛みついてきた。6/6

僕らのラストアルバムである「そして緑の樹木は燃え」は、まだ2曲しか完成していないので、あと2,3曲追加しなければならないのだが、すぐに出来そうにみえて、なかなかできないので大いに焦っているわけ。6/7

花形スタアはんの雇われ運転手の私だが、スタアはんを待っている間に、およそ20メートル向うに貼ってある、安倍蚤糞のポスターめがけて石を投げたら、みな命中するので、あっという間に人だかりがして、なかには小銭を恵んでくれる人も現れた。6/8

わたしら民草が、浮沈する位置は一定しているのだが、インフレとかデフレになるたびに、5センチから20センチ間隔で上下するので、その都度、元の位置にまで自力で戻らなければならなかった。6/9

その女は、「いつまでにその準備をすればいいのか、教えて下されば、あなたと一からやり直して完成させます」と、堅い決意を披露するのだった。6/10

その庭園内にある中華料理屋は、浅い池の上に建てられていたので、床板の下を覗くと、浮草の間から、白くほとびた麺や、喰いかけの餃子や、錆びた鍋釜などが見えるのである。6/11

セイさんや、カワムラさん、ウジさん、死んだムラクモさんなど、昔の宣伝部の面々が勢ぞろいしているのに、誰もが押し黙ったまま、朝夷奈峠に至る曲がり道を歩いていた。これは誰かの葬列か? 6/12

キャメラは、どんどんブラに向って迫っていき、最大限にアップしたところで、しばらく考え、一転して、今度は猛烈な勢いで引いていった。6/12

暮れの東京駅の大丸の投げ売りフェアで、酔っ払ったヨッサンと一緒に、「家具あれこれ一式5千円セット」を買ったら、これがまあ、どうしようもない、とんでもない代物ばかりで、家族の顰蹙を買ってしまった。6/13

私は五臓六腑が育んでいる言葉を欲していたので、それぞれの臓器を、傍にある墓石に擦りつけながら、臓器が内蔵する言葉を、ムギュギュッと絞り出して、お気に入りの文化学園大学の手帖に記入していった。6/14

この風呂敷の中には、何が入っているのか?と、怪しみながら開いてみると、せごドンの大きな首だった。6/14

「乾坤」という大仰な文字が、立ち上がった飛車角のようにどんどん迫って来るので、私のささやかな夢は、たちまち崩壊してしまった。

その男は、紙つぶてをボールのように扱って、青空に向かって放り投げ、受けとめては、また放り投げていた。6/15

「また一人、優しい人が、死にました」という句を、ゴルゴタの丘に建てると、その5・7・5の区切りを体現するかのように、3人の十字架が現れた。6/15

宣伝部は本社にしかなかったのだが、事業部が遠方に拡散するにつれて不便になったので、急遽事業部内に支部を設けて、それぞれの業務に必要な宣伝販促活動に従事するようになったために、本社の宣伝部は、次第に有名無実の存在になっていった。6/16

リーマンを辞めて、詩人になったサトウ氏と偶会したら、新しい名刺を頂戴したのだが、そこには「Amazon123.comCOE」と大書されていたので、私は「あのアマゾンの!」と、驚くばかりだった。6/17

「きみきみ、あと1週間ほどで宇宙船がやって来る。それまでこの星で待っていれば、一緒に地球へ帰れるよ」と、その男は教えてくれた。6/18

「おい、お前は金なんかないんだから、そんな無暗に高いだけのスーツなんか買う必要はない。もっと節約しないと、年金どころか税金が払えないぞ」と説教したのだが、そいつは柳に風、馬に念仏だ。6/19

私の左隣の青年は、生物工学専攻の学生で、右隣りは高名な人文学の博士だったが、彼らに挟まれて座っている私は、何者でもなかった。6/20

村の議会で、おじさんが、「クリンしてからトゥクリンしてクリンアウトせんけりゃならん」と演説した途端に、檀上に警官が駆け上がって、「弁士中止! 弁士中止!」と絶叫した。6/21

私たち夫婦が住む家に、どこからか若い娘が転がり込んできたので、同居していたのだが、それが大いなる災いをもたらすことになるとは、当時は誰も思わなかった。6/22

私は超満員電車の中で、どういうわけだか、若い女性とがっぷり左四つで抱き合うようなかたちになってしまい、電車の振動と共に激しく揉み合っているうちに、珍しくも下半身が硬くなり始め、あれよあれよという間に、イってしまったああ。6/23

アフリカ人で黒人の私が住む国では、初めての民主的な大統領選挙が行われ、軍部の与党候補者が、私らが推薦する野党の民間人に大敗したので、村は朝から、お祭り騒ぎなのだ。6/24

さる女流評論家に拾われた浮浪児の私は、彼女の膨大な洗濯物をキロいくら、日々のポートレートを1Pいくら、といった具合に請け負うことで、はじめて自活できるようになった。6/26

三食昼寝付きで、ホテル並みの至れり尽くせりのキャンプ地、という触れ込みだったが、いざ現地を訪れてみると、飲み食いできるものは、なにひとつなかったので、私らは、朝から晩まで狩りをするほかなかった。6/27

コピーライターのアオキさんと、海外担当のカナガワ君、そして私の3人で旅をしているのだが、裸馬の大群が、怒涛のごとく疾走している。どうやらここは、アメリカの西部のあらくれの地らしかった。6/28

ジャングルの中では、赤くて丸い実を食べる。私は、それを絵に描いた。6/29

私は自費出版某社のライターだったが、自叙伝の作者と私の間に、変質狂的な編集者が絶えず介在して、取材や執筆の邪魔をするので、頭にきて抛り出したら、それ以来ぷっつり仕事の依頼が来なくなった。6/30

 

 

 

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