夏の終わりに

 

長尾高弘

 

 

曇っていていつになく涼しいけど、
神社の杜に入ると蝉がうるさく鳴いている。
蝉が鳴き始めてもう二か月くらいになるだろうか。
最初の頃に鳴いていた蝉はもういないんだろうな。

蝉を探すのは面白い。
鳴き声が聞こえても、
たいていは見つからない。
どっちで鳴いているかは大体わかる。
でも大体しかわからないので、
探してもたいていは見つからない。
何本も木があると、
どの木にいるのかがわからない。
そういうときは、
じっとしていないで少し動いてみる。
聞こえる向きが変わるので、
この木で鳴いているのであって、
その木で鳴いているわけではない、
ということがわかる。
それでも見つかるときと
見つからないときがある。
見つかるとうれしい。
もやもやしていたものが
すっと晴れるような気がする。
カメラを向けて写真を撮る。
鳴いていたら動画まで撮る。
撮ろうとすると逃げるやつもいる。
ずっと遠くにいても気配を感じるのだろうか。

でも、
そんなことも二か月もやっていたら飽きる。
あっちからもこっちからも鳴き声が聞こえるけど、
かまわずに歩いていく。
暗い裏参道を抜けると、
ちょっと明るくなって、
ちょっと広いところに
本殿が建っている。
その本殿の前に来たときに、
ぎゃっというような声を上げて、
何かが飛んできて顔をかすめた。
びっくりしたけど、
すぐに蝉だとわかった。
アブラゼミだ。
蝉というやつは、
あんなに立派な羽を持っているのに、
どうして不細工な飛び方しかできないんだろう。
本殿にぶつかりそうになって
慌てて曲がり、
すぐに地面に落ちた。
落ちた蝉を見ると、
片方の羽がひしゃげていた。
今やっちゃったのか、
もうこんな状態だったので、
あんなにバタバタしていたのか。
たぶんもうじき死ぬのだろう。
最初はちゃんとしている方の羽を
バタバタ動かしていたけど、
だんだん動かなくなっていく。

表参道に入るとまた薄暗い。
少し歩いて行くと、
今度はミンミンゼミが飛んできて、
足下に落ちた。
よく見ると、
この参道のあちこちに
蝉の死骸が落ちている。
小さな蟻がたかっているのもある。
考えてみれば、
蝉の季節も終わりに近づいているのだから、
死骸がたくさんあっても、
不思議ではないのだ。
蝉、蝉、と気安く呼んでいるけど、
よく見ればとても精巧にできている。
2つの目があって4枚の羽があって6本の足がある。
胴体はしっかり作ってあって、
胸から腹にかけての曲線が美しい。
羽はステンドグラスのように小さな部分を集めてある。
簡単に作れるようなものではないのに、
一週間もすると死んでしまうという。
蝉を作ったのが神様ってやつだとすると、
ずいぶんもったいないことをするものだ。
せっかく与えた生命なんだから、
もうちょっと長持ちさせてやればいいのに。
そんな考えは余計なお世話ってものだけど。

死んだ蝉はすぐわかる。
確かめてみたりしなくても、
直観でそうだとわかる。
理屈をこねる前にわかる。
なんでだろう。
昨日は蝉の死骸の上で二匹の蜂がホバリングしているところを見た。
スズメバチの一種なのかな。
やばいと思って近寄らずに急いで通り過ぎた。
あれは食べるってことなんだろうね。
さっきたかっていた蟻もそうだし。

参道を通り過ぎると、
頭上を覆っていた木々もなくなり、
空が広い。
参道を振り返ってカメラを構えると、
ひじの裏側に蚊が止まっているのに気付いた。
反対側の手で叩いたら、
潰れて落ちたので死んだのだろう。
でも蚊が止まっているのが見えたらもう手遅れで、
きっとしばらくすると痒くてたまらなくなるに違いない。
自分で触ったひじの裏側は、
ぷよぷよとして柔らかかった。
これは若いときの張りがなくなったってことなんだろうな。
死んだらこれが硬くなる。

 

 

 

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